 |
| |  |
 |
 | その昔、この地は瀬戸内海へ出帆するために風を待つ船着場であった。「学問の神様」として有名な菅原道真公も、大宰府への下向の折には、この地で風待ちのために滞在されたという。
その際、この地の徳次郎という里人が、心温まるおもてなしで道真公の旅情を慰めた。 道真公はそのことをいたく喜ばれ、そのお礼として、この地を「福島」と名付けたといわれている。 |
| |
 |
|  |
 |
浄正橋筋は、聖天通りの東を南北に通じていた繁華街で、現在は幅30mのなにわ筋となっているが、大正末から昭和初期の情景は、映画館や寄席が並び、曲芸も見られる文字どおりの歓楽街であった。
今のなにわ筋にはホテル阪神や朝日放送などの高層建築が立ち並び、また違った賑わいを見せている。 | | |
 |
 |
浄正橋は今は埋め立てられ、跡碑があるのみであるが、埋め立て時に架けられていた浄正橋は橋長51尺(約15m)、幅20尺(約6m)。
浄正橋が架かっていた川は「しじみ川」(曽根崎川あるいは福島川ともいわれた)で、このしじみ川には東から、難波小橋・堂島橋・曽根崎橋・桜橋・助成橋・緑橋・梅田橋・浄正橋・汐津橋・堂島小橋が架かっていた。
しじみ川の両岸の町々は、明治42年の北の大火で焼け、土砂・瓦礫の山となったので、しじみ川は埋め立てられ、浄正橋跡碑は、福島2丁目1、福島公設市場の北側の歩道に立っている。 |  |
| | |  |
 |
昭和12年現在大福会(23店)を結成、これが母体となって、戦後浄正橋商店連盟へ発展、昭和45年の万博関連道路として道路が拡幅され、街の姿が一変したが、付近住民や通勤客の利用が定着している現況である。
| |